見えないもの、見ていないものを、見ようとすること。

グラフィックレコードって、描いた結果を注目されることが多いように思います。

けれど、ほんとうは、描いていくプロセスそのものに意味があると思うのです。
見えないものも、とりこぼしそうなちょっとしたことも、拾って見えるようにしていくプロセス。

なんなら、描けなくても、描こうとすることそのこと自体に意味があると思う。
言葉になっていない、資料などになっていない、そこにある何かを拾おうとすること自体に。
見えないものを見ようとする、そこにいる人を、その場の状況や空気を、感じ取ろうとすることに。

 
それは、オンライン化が進む今とこれから、とても大事で重要だと思っています。

 
これまで、目の前にいたら、同じ場にいたら、なんとなく感じ取れていたことが、離れたことによって見えにくくなる。
意図して伝えたり表現したりしていかないと、気づかれなくなる。
意識して聞いたり確認したりしてみないと、気づけなくなる。

だから、見えないものも見ようとすること、見せようとすることが必要なのです。

 

発言された内容をわかりやすく見せる点について、グラレコのよさを語られがちだけど、それはごく一部の表面的な効果でしかないと思っています。
わかりやすくなくてもいいし、映えなくてもきれいでなくてもよくて、グラフィックでしか表現できないことを表現しようとすることに意味がある。

グラフィックでしか表現できないような、言語化しにくいことも意識して見てみることに意味がある。

オンラインでなくても、リアルで目の前にいても、意識してみてみないと見えないことは多いと思うのです。
がんばって表現しないと伝わらないことが大半だと思うのです。

 
オンラインだから、だけではないけども
オンラインだから、できないことに気づくこともあるよね?

変化があるから、これまでの問題が見えてきたりする。

グラレコだからできるよ、とも言いたいけども、全然グラレコである必要はなく。
でもひとつのツールとしてすごく使えるとは思っています。

ただ、これまで見ていないこと、感じようとしていないこと、考えようとしていないことを見直してみるきっかけや手段にできるといい。

 
見えるのに見ていないことを、もっと見てみよう?
もっと相手のことを、まわりのことを見てみよう?
そのまえに自分がそっとないことにしてしまうことを見てみよう?
もっと行間を、もっと背景や理由を、見ようとしてみよう?

しっかり見ようとしたら、全然見えるものが違ってくるから。
 

自分だけでは見づらいな、というときには、nano-designsのグラフィックレコードでサポートします。

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