「あたりまえ」を伝えるのが大事。

自分の「あたりまえ」のことって知ってますか?

自分にとってあたりまえのことは、そうしている、そう考えていると普段いちいち意識していません。
あたりまえすぎて、あたりまえにしているのだということさえ気づかないこともあります。

それくらい、自分の「あたりまえ」には無意識で無自覚なもの。
だから、自分で気づくことは難しいのです。
人と話したり、人の「あたりまえ」に気づいたりすることで、自分のあたりまえに気づくのがほとんどではないでしょうか。

だけど、その「あたりまえ」の部分が大事なのです。

意識している範囲のことって、その無意識の「あたりまえ」の積み重ねの上にあります。

いつもいつもこんなことをやっている、こんな風に考えている、これが身についている。
その上で、今のこの行動があり、考えがあり、今の自分がいます。

たとえば、「どんなことをやっているか」を説明するとき、意識してやったことを伝えようとしますよね。
あえて自分で意図してやったことだから自分でわかって伝えられるし、新しくこんなことをした、がんばってこんなことをした、と感じる分、そこを伝えたくなる。
けれど、人から見たら、無意識でやっているところも含めて「やっていること」です。
どう考えてどう判断してどんなことをしてるかしていないか、全部含めて「やっていること」です。

よく例としてあげられるような、こんな話も同じ。
 きれいな人に、何をやっているか聞いても「何もやってない」と言う。
 だけど、日々の食事とか運動とか美容ケアとか動作とか、たくさんやっていることがある。
 あたりまえにやっていて、気をつけていることでもないから「やっていること」として出てこないだけ。

この場合、「特にやってない」とか「ときどきこんなスペシャルケアする」ということより、日々やっていることやそのときに無意識に意識していることが知りたいですよね。

見えづらいから、説明もしづらいから、わかりにくいところだけど、わかりにくいからこそ伝える必要がある。

あたりまえすぎて、自分だけで、自分のベースをつくっている「あたりまえ」は言語化できないかもしれません。
だから一緒に見つけて伝えていきませんか?

nano-designsはあなたの伝えたいことをより伝えるための整理をサポートします。

Sitemap